06 嘘



補注的な話として。

「わたし」という語を使って書くとしても、もしそれが「嘘」(フィクション)として書かれるものであれば、話はちがってきます。
小説などのように、現実に存在する私とはまったくちがう「わたし」を虚構として設定して書くのであれば、距離感や「ずれ」はあって当然のものです。

しかし、ことばで書く以上、嘘か嘘でないかの線引きは、明確にはできません。
〈わたし〉構造のことばを書くときも、その記述が、実際にカラダをもって存在する書き手=「わたし」を「嘘なく」「ありのままに」表現しているのかどうかは、判断のしようもなく、底に曖昧なところが残ります。
「ことばで表現する以上、『事実』のつもりで一人称で書いたとしても、それはすべてフィクションだ」と言いきることさえできるでしょう。
もしそう思うことができたら、私ももうすこし気楽に、自由になるのかもしれません。

でも、そうではなく、「『わたし』なんて嘘なのだ」と思いきれないところに、また、「嘘ではない」(と無意識に信じる)かたちで「わたしは…」と書きたくなってしまうところに、〈わたし〉構造のことばの苦しさと、面白さがあるのだと思います。