01 伝えておきたいこと



私は、ずいぶん前から、自分が「わたしは…」という一人称の形式で発することばに接するすべてのひとに―とくにSNSやメールなど、インターネットの空間でそれを読むひとに―つまりあなたに、次のようなことをいちどちゃんと伝えておかなければならないという、かなり切迫した欲求を抱きつづけていました。

「私は、ここで〈わたし〉という語を使って、あたかもそれがこの私を指すかのように、そして、この文章の全体が、私の考えや感情を表現しているかのように書いているけれど、それはちょっとちがうんです。
 私はこの〈わたし〉という語や、『わたしは…』という形でことばを発するということ、それが発し手とイコールである特定の「ひと」を指すものとして通用するという構造に、同意しているわけではないんです。
 それは変なことだ、とずっと感じているし、つねに違和感があるんですよ。」


……ほかの人には、かなり唐突で、奇妙な欲求に感じられるのではないかと思います。
ひとりだけの思いこみだとか、自意識過剰だとか感じられるかもしれません。

「そんなこと、わざわざ言ってもらわなくていい」とか、「あなたがどう思っていようと、自分にとってのあなたに変わりはないし、とくに問題はない」とも思えるかもしれません。

あるいは、そもそも「なにを言っているのか、よくわからない」と思われるかもしれません。

また、そんなふうに伝えたら、

「じゃあ、あなたが『わたしは…』という形で書くことばは、あなたの『考えや感情を表現している』ものではなく、すべて嘘だということ?」

と、疑念や不信感を持つひともいるかもしれません。

自分としては、「嘘」を書いているつもりはありません。
なにかを書くときはいつも、これを書きたいと思って書きはじめ、感じたこと、考えたことを、その時々に「こう書いたら伝わるかもしれない」と思うかたちでことばにして、書き、公開し、送信しています。

ただ、その一方で、自分が演技をしているような、……ことばでつくったヒトガタのはりぼてを他人の前に現して、それを「わたし」だと思わせて相手を騙しているような感じ(さらにいえば、「ニンゲンのフリ」をしているような感じ)が、程度の差はあれ、つねにあるのです。
そのヒトガタへの距離、〈わたし〉への距離がつねにあり、「ずれている」と感じられているのです。

それで、そのような事情はいちど、私の書くことばや、そもそも私というモノに接してくださる方々にちゃんと説明し、伝えておかなければいけない……という、ある種の罪悪感のまじった焦燥感を、ずっと抱いていたのでした。

しかし、これはいったいなにから〈わたし〉への距離であり、なにから「ずれている」のか。
その起点のところを、うまくとらえることができず、ことばにもできなくて、長く逡巡していました。

また、その距離について書こう、伝えようとしても、ことばで書く以上、そこには「〈わたし〉への距離について書くわたし」が現れる。

たとえばいま、この文章を書いていて、ここにも「主語」=これを書いている人物としてのわたしがあります。
このわたしは、なんなのか? それをどうとらえ、扱い、伝えたらいいのか。

こちらのわたしについて、同じ文章のなかで、矢印を折り曲げるようにして指し示し、語るなどというアクロバティックなことが自分にできるとは、なかなか思えませんでした。