下記のとおり、個展を開催する運びとなりました。 →終了しました。ありがとうございました。
「ことば」への距離、「わたし」への距離がテーマの作品です。
気遣いの多い時期となりますが、ご無理のない範囲で足をお運びいただき、作品を直接にごらんいただけましたら幸いです。
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毎夜 枕もとにノートとペンを置いて
わかるということが わからない
見た夢を書きとめていた
自分のことばという事態が つかめない
はじめて ひらいてみる
ことばは異物であるはずだから
なにも 思い出せない 書いたということすらも
わたしから ひきはがす なるべく 遠くへ
これは誰か ほかの人の記憶ではないのか
わたしから わたしを ひきはがす
25の夢ノート もういちど 記憶する
からだを通過させる
目を閉じて 読めない文字で 書いていく
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10年ほど前から、枕もとにノートとペンを置いておき、夢を見ながら目覚めるようなとき、なかば眠ったままに、その内容を書きとめていた。
昨年、そのノートをはじめてひらいてみたのだけれど、見事になにも思い出せない。
すべてが、まるで他人が書いたもののように、よそよそしく感じられる。
でも、そこにあるのは確かに私の文字なのだ。
今回の展示は、そのノートのなかの25個の夢の記録を暗記し、目を閉じて、左手で、鏡文字で書きうつしていく、という作品が中心となっている。
なぜ、このような作品をつくろうと思ったのか。その背景にはおもに次の2つがあった。
私には、「ことば」へのずれと距離、とくに「わたし」という語へのずれと距離の感覚が、つねにある。
そこから、自分の発することばをなるべく遠ざけたい、自分からひきはがして、「読めない」「わからない」姿で──なぜなら、それが本来の姿だと感じるから──向こう側に置いて見たい、という欲求が生じ、それが最近の制作の大きな動機となっている。
また、今回は
「いちど忘れ、離れてしまったことば/記憶を、もう一度からだに入れ、通過させて、アウトプットする」
というイメージもあった。
自分のもののはずなのに自分のものとは思えない、よそよそしいことば/記憶を、よそよそしいままに、このからだのなかを通過させたかった。
そうして書きとめた文字を展覧し、見学する。