05 水の底



この経験はなかなか大変でしたが、しかしこのおかげで、自分の感じている「ずれ」について、「書くことばのなかの〈わたし〉へのずれ」というかたちで一種のモデル化がなされ、それによって私は「ずれ」そのものを対象化できたのではないか―自分がいまいるココ/自分がいまいるということと、「ずれ」との関係をとらえていく糸口になったのではないかと思います。

また、このころから時々、ものを話せなくなるようになりました。
これは以前もあったことですが、次のようなイメージは、あらたに現れたものでした。



自分は深い深い水の底に、ひざを抱えて座り、水面を見上げている。
水面は明るくきらきらと光を受けてゆれていて、その水面の上に、自分の輪郭が、点線で描かれるように、本来あるはずの姿として見える。
その自分は、ほかのひとに向かってなにかを話しているのだけれど、その相手はここからは見えず、自分の声も聞こえない。
ことばを話すということは、水面まで上がっていき、あの自分の輪郭に成る(重なる、一致する)ということなのだけれど、自分にはそんなことはとうていできないと感じている。



そんなとき、水面の上の〈わたし〉へのはっきりした「距離」が―自分がその距離をたどり、水面へと上っていく過程を想像的になぞりながら、そうはできない距離が―あり、このイメージによっても私は、自分の感じているのは〈わたし〉への距離であり、ずれなのだ、とくりかえし確認していました。


>>06 嘘