10 《補遺》 名前



でも。
自分が親しい友人を呼ぶとき、もし「名前」がなかったら、どうなるのだろう。
私は、呼びかけたい。でも、呼びかけることばが無い。

おそらく、誰においても「名前」はつねに浮いている。
たまたまその名(音/文字の連なり)が選ばれただけで、べつにその音/文字でなくてもよかった。

さらにいえば、もし仮に、そのひとしかいない世界であれば、―あるいは自他の境界のない時空に生きているのであれば、きっと「名前」は無くてもいい。

「名前」は、かみさまの空間に似ているかもしれない。
呼びかける空間。
そこは、可能なすべてのもの/すべての相手でありうる(つまりは誰でもない)不特定の空間であるようでいて、その芯に特定の相手が、―というより「特定であること」「宛先がただひとつであること」が混ざっている気がする。

呼びかけるということ。
宛先の固有性は、たまたまのものであり、同時に、自分には決してとどかない/つねにずれてしまう場所であり、なにか、仮象のようなものだと知っているのだけれど。
手紙を書いているときのように。

これは、〈わたし〉が他人にとってと自分にとってとでは非対称であり、置き換えができないことと、関係があるように感じる。
私であることは私においてしか可能ではない。
ほかのひとの私は、私にはとどかず、知ることができない。あるのか無いのかすら、わからない。
そのことに向かって呼びかけている。

望んだ覚えはない。けれど。
名前においても、それが異物だからこそ、露出している事柄がある。